同じ船に揺られれば 解説

大学生活もあと半年を過ぎれば折り返しを迎える。そんな中、僕はなんとなく、反りが合う人と合わない人の分別を付けるようになってきている。

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私の願いは、アートで人を救うこと。アートが人をワクワクさせ、人と人を繋げて夢を見させること。私は、好きなことを諦めなければならない今の世の中が大嫌いで、そこに少しでも歯止めをかけたい。その手段の1つが私にとってアートだった。私はアートに救われた。

幼い頃、父の仕事の都合で知り合いもいなければ言葉も通じない異国の地で生活しているとき、孤独を埋めてくれたのはアート、中でも私の場合は絵だった。

小中学生、高校生の頃、お金があまりない私は人並みほどお金がかかる娯楽を楽しめなかったが、アートをそれを帳消しにしてくれていた。例えば、友達とショッピングに行った際、私の目的は買い物ではなくその建物を楽しむことだった。ショッピングモールは僕にとって、まるで入場料無料のテーマパークで、場所によって異なる形状や空間が私を魅了した。建物は(大きいものは特に)、建築家によるアート作品そのものだった。

大学に入ってからも、自分が表現者であったためにできたコミュニティがある。私はその人たちの話を聞くのが特に好きで、幸福感さえ覚える。私は、アートに救われて生きている。
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だからこそ、私はアートを通して、何かを諦めなければならない世の中において、人にとって少しのワクワクを、少しの幸福感を残していきたい。

そう願って立ち上げたサークルがあり、始めた事業がある。それをただの自己満足として片付けられてしまっては、それは少なくとも、自己満足と捉えている人には私の願いが叶っていないことになる。だからショックで、他にもそう捉える人がいると考えるとゾッとしてしまう。自分がやろうとしていることは全部無駄なのか、と。

大なり小なり、自己満足を形にしてそれだけを自分のアイデンティティとしてアピールしている人がいる。私自身、表現者としての活動は自己満足であるし、悪いとは思わない。しかし、自己満を人生の主軸にすることは危険だと感じる。なぜなら、自分のことに集中しすぎてしまう結果、人としての美しさや、ものごとの本質を見失ってしまうかもしれないから。

「人のため」とは、未来を見据えた人が取る行動で、自己満足とは別の次元にあるべき言葉だった。たしかに、社会貢献が流行する中、それをエゴだと批判する人も少なからずいるし、実際自己満足で終わらせてしまう活動者もいる。しかし、「人のため」の本質は未来のためであり、持続的なものである。

「人のため」を全て自己満足だと非難する人へ。
活動者は、実際に行動している時点で既に別の扉を開いている。まずは尊敬を忘れないこと。そして、その活動が自己満足であったかどうか、それを持続的なものにしようと努力しているかどうかで判断してほしい。それがわからないのであれば、あなたが新たな活動者として未来貢献してくれる可能性を、残念だが私は諦める他ない。

私と反りが合わない人、それは「人のため」の本質を見失った、自己満足のためだけに生きる人。

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