多様性理解とは。

  ある日、少年は、仲の良い友人とその家族と一緒にレストランへ行きました。友人、友人の母、友人の父、そして少年の4人です。メニューの中からそれぞれ食べるものを選び、注文した料理が目の前に並べられます。いただきますをして食事が始まり、少年は、自分が注文したものを美味しく食べています。
  すると、いきなり隣から手が伸びてきました。仲の良い友人は、何も言わず少年の料理を箸でつまみ、パクッと一口食べて「うん、美味しいね!」と言います。
  少年は驚きました。”普通は、ひとこと言ってから食べるはずだ、常識離れしている”と。
  しかし、その少年の考えはすぐに覆されます。
  今度は、前から、斜めからと手が伸びてきて次々と少年の料理が他の人の口に運ばれたのです!言うまでもなく、それらは友人の父、母の手です。
 友人家族にとって、「何も言わず人のものを試し食いすることの方が普通」だったのです。
  あなたはこの話を聞いて、何を感じましたか。
この少年とは、私自身です。おそらく、人生で初めて本当の意味で多様性を認めた瞬間でした。私が高校1年生の時の話です。
  私はこの時、相手が仲の良い友人だったため簡単に受け入れることができました。しかし、その相手が初対面の人ならどうだったでしょうか。私は少しでもムッとしたかもしれません。

  他人が自分とは違うこと、それを知らないことはとても恐ろしいことです。自分の中の常識を相手に押し付けた結果、衝突が起きることもあります。
  国の文化だの、宗教だの、たしかに、それによる思考や生活の違いというものはあるでしょう。しかし、それ以前に私たちは全員違う、他人同士です。
  多様性理解とは、相手の文化や考えを理解し、受け入れることではありません。どんな小さなことでも、相手との間には違いがあると気づくことです。そして、「違い」そのものを受け入れることです。

  「違い」があることは決して悪いことではありません。先日、TEDx APU2019が開催されました。
そこでは、What makes us, us? (私たちを創造するものは何か) がテーマでした。
  私にとって、私を私たらしめるもの (What makes me, me) は、「他人の存在」です。自分一人の世界だったら、誰が自分の存在を認めてくれるのでしょうか。自分の存在を認めてくれる他人がいて初めて、私がここにいることの証明になります。逆に、自分と全く同じ人だけの世界だったらどうでしょう。誰が本当の自分なのか、知る由もなくなります。他人は、自分と違うからこそ他人であり、人間社会が他人同士の集まりだからこそ、今ここに私という1人の人間が成り立っているのです。

「違い」(=多様性)は、喜びです。
本当の意味での多様性理解が、世界をより明るくすると、私は信じています。



0コメント

  • 1000 / 1000